2015年上半期に読んだ本ベスト10
さてさて今年も半年が過ぎました。梅雨明けにはまだ少しかかりそうですが、外はしとしと雨の降り続くこの時期、お家で読書もいいですよね。
本日は上半期に読んだ本のベスト10をご紹介します。
『ニッポンの裁判』
前著 『絶望の裁判所』では、裁判官というエリートだけで構成された閉鎖的な官僚組織の闇が暴露され、読者に衝撃を与えました。絶望(略)の方は日本の裁判制度や裁判官の心理面に焦点を当てていました。一方で本書は、具体的な裁判の判決が挙げられ、法の番人である裁判官が、一人の人間としてどんな価値観をもち、何に左右されて判断しているのか。それは果たして妥当なのかと疑問を投げかけます。
『そして誰もいなくなった』
言わずと知れたアガサ・クリスティーの名作ですがちゃんと読んだことはなかったのです。アガサの推理小説は展開が斜め上すぎるのとかがあって、例えばオリエント急行殺人事件では容疑者全員が犯人というまさかのオチですが、この作品ではタイトル通り容疑者全員が死んで誰もいなくなります。はい。なんでそんなことがありうるのか?それは読んでのお楽しみということにしましょう。
『まなざしのレッスン 2西洋近現代絵画』
『まなざしのレッスン』は今の美術史を志す学生は必ず勧められると言ってもいいほど定番の入門書で、私も(美術史専攻ではないものの)学生の時に読みました。待望の続編が今年出ました。前回のように時代の流れに沿ってジャンルごとに章立てするのではなく、「空間と平面」「色彩と筆触」といったテーマごとに横断的に作品を紹介しつつ、近代絵画の源泉にある思想を読み解くといった感じでした。
『荒木飛呂彦論:マンガ・アート入門』
著者は映画が専門の京大の先生。とある映画批評誌に評論が載っていてこの先生を知ったのですが、肝心の映画はそっちのけで8割くらいはジョジョのベタ褒めで埋まっており、相当好きなんだなと思ったら、荒木マンガだけで一冊新書が出ていました。テキスト分析が自由自在で、題材がマンガであれ何であれこうやって読み解いていくんだと。同じオタクでも娯楽として消費するだけでなく、語れるオタクになりたいと思いました。
『フィレンツェ−初期ルネサンス美術の運命』
フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命 (中公新書 (118))
- 作者: 高階秀爾
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1966/11
- メディア: 新書
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昨年のウフィツィ美術館展、そして今年はボッティツェリ展と最近は初期ルネサンス作品に触れる機会が多くあり、まさに初期ルネサンスを牽引したフィレンツェの歴史に興味が湧きました。芸術を花開いた背景には、金融業で富を築いたパトロンの存在や、当時は職人さん的位置づけだった画家がタテ(アトリエでの師弟関係)ヨコ(同業者組合)でつながる仕組みだったりがあったのだと。
『世間とは何か』
世間ほどうっとおしいものはないと思っているにもかかわらず、世間に揉まれている内にいつの間にか自分もよく分からない世間のルールで誰かを縛っていて嫌気が差したことも。ただこの本を読んで「世間」をメタなところから見ることで、自分の中の世間嫌いな「偏屈ジジイ」と少し向き合えるようになれたかなと思います。
『臆病者のための株入門』
今年はお金の管理や投資関連の本を読もうと決めて手に取った中の一つが本書です。はて、次に株が下がったときを狙ってまずはインデックスファンドから買ってみようか。
『わたしはコンシェルジュ』
NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」が結構好きでよく見るのですが、この本の著者であるホテルコンシェルジュの阿部さんの回は最近の放送では一番熱くなりました。どんな要望にも完璧に答えるのもすごいけれど、それ以上に会話でお客さんを乗せて、求めるものを自然に引き出してしまうところがかっこいい。阿部さんのことがもっと知りたいと思って読みました。
『コミュニティ 安全と自由の戦場』
コミュニティに受け入れられることは安心と活力を与えてくれるけれども、同時に自由を阻む足枷になっているというジレンマ。今後も考え続けたいテーマの一つです。
『項羽と劉邦』
現在進行形で読んでいます。会社にいると「ああこの人、仕事できるけど周りを頼れない項羽タイプだな」とか「なぜだか人を巻き込んですごいことを成し遂げちゃう劉邦タイプだな」とか密かに思ってしまいます。