シャガール展@愛知県美術館

愛知県美術館で開催中のシャガール展を観に行ってきました。


シャガールといえば人気のある画家なので国内で様々な展示が企画されています。
この展覧会では少し趣を異にして、パリオペラ座の天井画やニューヨークの
メトロポリタンオペラハウスのステンドグラス、
イスラエル・ハダサー医療センター礼拝堂のステンドグラスなど
シャガール代表的なモニュメントに焦点が当てられていました。

さすがに、実物を持ってくることはできませんが、
たくさんの下絵を見ながら、シャガールがイメージを膨らませて
完成へと至るプロセスをたどることができました。
特にオペラ座天井画の下絵は、試行錯誤の跡がすごく分かりましたね。
5つの色の区画に分けて、それぞれ偉大な音楽家の作品をモチーフに
取り入れているのですが、何時間も音楽を聴きながら籠って仕上げたそうです。
ぼんやりしたイメージがだんだんと形になっていく様子が見てとれました。

かえって下絵だったことで、プロジェクトの舞台裏を垣間みれたというか
発想の源に触れられる(ファンにはたまらない)展示でした。

また、シャガールは多作の人という印象がありましたが、
舞台美術や衣装、彫刻、陶芸、タピスリーなど
絵画に限らずいろんな媒体で実験していたことに驚きました。
そして、どの媒体の作品もあの独特の幻想的な
シャガール節が隠せないので面白かったです(笑)

そんなこんなで終始夢の中にいるような、シャガールづくしの展示でした。
オペラ座天井画は見たことがありますが、他はまだないので
いつか実物に出会いに行きたいものです。

思考と行動

昨日は、他部署の主催する大きな行事に応援として駆り出され、
久しぶりに現場で走り回る仕事をしました。
身体はヘトヘトに疲れましたが、とっさのトラブルに対応したり、
その場で臨機応変に判断したり、鈍りかけていた感覚を取り戻して、
やっぱり現場は楽しい!と強く思いました。

さてタイトルの思考と行動、私はどっちかというと行動派なのでしょうが、
理想は2者が車の両輪のように、バランスよく上手く機能していることでしょう。
思考モードに偏っていると、事前に頭の中でシナリオを立てるけれども
実際には全く想定外のことが起こってパニックになってしまいます。
逆に行動モードに偏っていると、ちょっと考えたり調べたら分かることを
人に聞いていらっとさせたり、軽卒な行動をして後悔することにもなります。

今読んでいる本に司馬遼太郎の『世に棲む日日』がありますが、
幕末の長州藩を舞台にして、まさに「思考」と「行動」
それぞれで活躍する人物が描かれます。
まずは、倒幕へと至るまでの思想を形づくった吉田松陰
そして、松蔭の開いた寺子屋松下村塾」で学び、
攘夷を唱えて倒幕へのムーブメントを起こした高杉晋作です。
世の中を大きく変えるには、まず土台となるのは思想であり、
思想があるから人が動きます。でも、考えだけでは世界は1ミリも変わらない。
それを体現し行動する人がいるからこそ、よりたくさんの人に想いが伝わり、
変革が起こるのだと思いました。

思考派の人、行動派の人。それぞれに得意なスタイルがあるのでしょうが、
何かを成し遂げるにはどちらかが大きく欠けていては崩れてしまいます。
ちょっとだけ、苦手な方に向き合ってみてはいかがでしょうか?

こっちはこうさどうにもならんよ

ずっと滞っていたブログですが、実生活の方が大きく変化したことがあって、
しばらくは新しい環境に適応するのに精一杯でした。

社会人3年目、年間を通した業務の流れが一通り分かって自信もついてきたし、
さらに担当する業務で新しいプロジェクトが立ち上がろうとして
気持ちが高まっていた矢先のことでした。
内示発表で思いもよらず自分の名前が載っており、
「えっ、何で…。」としばらく震えがとまらず。
結局何が何だか訳が分からないまま、
4月から全然畑違いの部署に行くことになりました。
それからは、引き継ぎと次々降ってくる新しい仕事を覚えるため、
馬車馬のごとく走っておりました。

前の部署ではすごくざっくり言うと現場に出て、人に会って、
つなげてってことをしていました。
こうすれば正解というのが無く、担当者が変われば全然違うアウトプットになるため、
よく言えばその人らしい仕事ができ、それ故「変人が多い」と揶揄されたりしていましたが、
内心そんな役回りが気に入っていました。

新しい部署は、打って変わって組織の管理部門です。
システムや制度の細かい仕組みを頭に入れた上で、
膨大な事務量を正確にこなさなければなりません。
係は超絶仕事のできる先輩ばかりで、「できる気がしない、向いてない」と
卑屈になりながらも、容赦なく舞い込んでくる仕事を必死に覚えてはこなす毎日でした。

今回の異動で身にしみて実感したのが、
目に見えない大きな力(権威)と、それに動かされる弱い個人(私)です。
組織にいる以上は避けられない問題だし、
従いたくないと思っても、逆らえば簡単にはじき出されてしまう。
とくに今いる組織は保守的で上下関係の厳しいタテ社会。
個人がどんな考え・価値観を持っていようと自由ですが、
それがちっぽけに感じられてしまう程、集団内のルールは絶対なのです。

だからこそ集団の評価に依存せず、自分のものさしを持っていたい。
個人の力は権威に比べるとあまりに弱いけれども、
そこで思考停止して何もかも従うのではなく、批判的に考える癖をつけたい。

そんな状況の中、ヒントを求めて読んでいた本です。
自由とかリベラルのことがテーマ、刺激的で面白い本ばかりです。

 

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

 

偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性

偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性

 

 

 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

 

古代ギリシャ数学発展の秘密とは!?〜「大人のための数学講座」を受講して〜

先週のお話になってしまいますが、2月8日(土)に
一本ゲタ大使館主催の「大人のための数学講座」に参加してきました。
テーマは「古代ギリシャの数学」、講師の森田真生さんは研究者でありながら
講演活動もされていて、まるで楽器を演奏するかのような語りのパフォーマンスで
数学の魅力を伝えています。

その時のお話がすごく良かったので、少し長いですが要約して文章に書き起こしてみました。
(日々の業務で議事録作成は鍛えられているので、こういう作業は苦じゃないです;
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数学というと、頭だけ使うイメージがありますが、実は身体と深い関わりがあるそうです。
例えば、羊飼いが30匹の羊を飼っているとして、1匹いなくなったところで気づかない。
だから手の指を使い数える、足らないので足の指を使う。それでもまだ足りないので、石に刻みの記をつける。
それがやがて数字になりました。このように、数学は人間の認知機能を補うための道具として発展していきました。

文明の発達した国では数学が発展しました。なぜならば、産業が生まれるためには
たくさんの人・ものの数を把握することが不可欠だからです。数ある文明国の中でも、他と少し違った発展をとげたのが古代ギリシャでした。
他国では、数学といえば計算の技術であり、生活に根ざした実用的な道具でした。
それに対して、古代ギリシャの数学は、経験よりも論理を、実際性よりも理念を重視した、
他と比べてより抽象的な概念を扱うものとして発展したそうです。

それはなぜでしょうか?
その前に、そもそも論理とは何でしょう?数学の証明は論理的に説明することが求められます。
例えば古代ギリシャの哲学者タレスは、「円は直径により2等分される」という定理を
証明したそうです。他国の文明ではそんな分かりきったことをいちいち
説明することはありませんでした。
古代ギリシャにおいて、数学の起源となった論理的な説明とはこのように
「当たり前のことをより当たり前のことで説明すること」です。
ただし、この「円は直径により2等分される」という証明も、論理だけでは理解できません。
円と直径を作図し、目で見るという直観的なプロセスがあって
はじめて分かったという感覚が生まれます。
このような身体的な直観が数学の理解には不可欠ですが、
この人間の直観に基づく分かったという感覚を他者と共有するために、
論理的な説明が必要なのです。

論理は、抽象的で難しいものというイメージがありますが、
その起源は、自分と違う他者と同じ感覚を共有し、コミュニケーションを
取ることにあります。古代ギリシャの理性的な営みは数学に限らず、
西洋文化の源泉となる哲学が発祥した地でもあります。
ギリシャ哲学では弁証法という対話的な問答を通して物事の本質を考えました。
このように、他者との対話によって真理を追求する古代ギリシャに根付いた文化が
数学や論理学を飛躍的に発展させました。

このような古代ギリシャにおける論証数学の中で有名なもののうち、
BC300年頃ユークリッドによって編纂された『原論』があります。
『原論』は幾何学の公理体系をまとめた書物です。
幾何学は目で見て直観的に分かる「図形」をもとに理解されます。
図形は「書く」という行為、身体的なプロセスによって生成するものです。
書くという行為を延長する道具として、図形が生まれたのです。
そしてその図形という道具そのものを対象化したのが、『原論』によって
まとめられた幾何学です。原論では点や線、円などに関して「公理」を設定し
体系化されています。この公理を用いて命題の真偽を証明していきます。
そして、やがてその手続きそのものが対象化され。「証明論」が生まれました。

このように、数学が扱う対象はどんどん抽象的になってゆきましたが、
もとを辿れば数学は身体感覚に基づく道具であり、みんなが共通して感じる
直観的な理解から始まっているのだと分かりました。
そして、直観的な理解を他者と共有するためには、論理的な説明による
コミュニケーションが不可欠で、そこからより数学の扱う対象が
論理的、抽象的になっていったという仮説も面白かったです。

講座の中では、アルキメデスの証明を実際にやってみたり
数学っぽい内容の部分もありましたが理解不足のため割愛します(笑)
また、森田さんのマシンガントークが何より面白かったです。
アルキメデス写本を巡る深イイ話とか、現代社会におけるアルゴリズム
意外な関わりとか、伝えきれないのが残念です。

森田さんが名古屋にときには、ぜひまた聴きに行きたいです。
そしてその時までにご無沙汰していた数学を
少し勉強し直してみようかなーと思ってます。

 

数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

 

 

2014年・ブログの目標

明けましたおめでとうござます!2014年初の投稿です。
そして、ブログを始めて1年ということで、
あらためて(たまには)ブログの目標についてお話したいと思います。

このブログでしたいこと、実はあんまりちゃんと考えてなかったのですが、
ざっくり言うと読んで下さる方への「情報のプレゼント」です。
これまで、インターネットを通じて、はてなブログを通じて
溢れんばかりの情報をいただいてきました。
ブログを通じて、今・私とは別の世界を生きるブロガーの
生の声を聞けることはとても大きな刺激で、
時に励みになったり、時に考えさせられたり、
そして毎晩のちょっとした楽しみだったりしました。
だから、いつももらうばかりではなく、
ほんのちょっと、お裾分け程度ですがお返しできたらと、
そんな想いで書いています。

インターネットと情報について、個人的な話をすこしだけ。


ふりかえってみると、まだインターネットを知らなかった頃、
とくに高校時代は、とにかく情報に飢えていました。
当時は、音楽とか映画とかもっと知りたい!と思いながらも、
住んでいたのは地方のカルチャー砂漠。
情報というオアシスを求めていつも喉がカラカラでした。
サブカル好きな友達から手当たり次第、漫画・CDを借りてみたり、
TSUTAYAで『ユリイカ』や『rockin’on』を立ち読みしては
(思いきって買うほどのお小遣いも無かったので…)
気になるワードやアーティスト名をメモしてみたりと、
自分なりに模索していたものの、
雑多で偏った情報しか手に入りませんでした。

それから時は経ち、大学生になって膨大な時間を手に入れた私は、
徐々にインターネットの世界を知りました。
Google、はてな、SNS、たくさんの便利なWebサービスやアプリ、
シリコンバレーの成長やステーブジョブズの功績・・・
また、あれほど飢えていたカルチャーについても
ネット上にはもの凄く詳しい人がいたり、
公開レビューが見られるサイトがあったり、あるいは
体系的な知識を得られるまとめページがあったりと
好奇心を満たしてくれました。

もちろん、ネット上の情報は正しいものばかりではないし、
何でもそのまま鵜呑みにするのはよくないと思っています。
情報の質を見極めるリテラシーが無ければ、
大量の無意味な情報に埋もれてしまうことにもなりかねません。

それでも、ネットを通じて今・世界中で起こっていることを
もっと知りたいし、溢れんばかりの情報を浴びていたい。
そして、自分も微力ながら、誰かに情報をお届けしたい。
そんなモチベーションでブログを書いていきたいと思っています。

最後に、とある方から教えていただいた素敵な詩をご紹介して終わりにします。
ベートーベンの第9の作詞で知られているフォン・シラーの詩より。
(ちなみに、見たことはありませんが、横浜のみなとみらい
クイーズスクエアの石碑にこの詩が刻まれているそうです。)

樹木は成長することのない
無数の芽を生み
根をはり、枝や葉を拡げて
固体と種の保存にはありあまるほどの
養分を吸収する。

樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還すが
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々とした自らの運動に使用する。

このように自然はその初源から生命の
無限の展開にむけての序曲を奏でている。

物質としての束縛を少しずつ断ち切り
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。 
 

いかがでしょうか?「溢れんばかりの過剰」な「養分」を「情報」と捉えると、
それがあるからこそ、人間らしい自由な生を享受することができる。

良い詩だなあ…つくづく。
では、本年もよろしくお願いします!

回顧2013〜‘本’編〜

続いて、2013年の読書を振り返っていきますー。
今年は仕事でバタバタと忙しかったため、
読書欲に体力・気力が追いつかない夜もありましたが、
(本がよく効く睡眠薬になっておりました…)
だからこそ読む時間を大事に使えたのかなと思います。

ふだんは、新しい本よりも発行から年月の経った本を
読むことの方が圧倒的に多いのですが、
まずは、今年発売の本に限ってマイベスト5をご紹介します。

第5位『脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法』

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

 

 会社に飼われ、何でも言いなりになってしまう社員を指す
「社畜」という嫌な言葉がネットから一般にも流通してきました。
誰も望んで社畜にはなりたくないはずですが、
「おかしい」ことを「おかしい」と言えず、
職場にはびこる同調圧力に逆らえず、
我慢大会をしているような息苦しさを感じる人は多いと思います。
会社にしがみつくのではなく、少し距離を置いて
冷静に自分の頭で考えるために、組織で働く人にとっても
読んで損はない本だと思います。

第4位『想像ラジオ』

想像ラジオ

想像ラジオ

 

 津波で亡くなったDJが幻のラジオ番組を放送する物語です。
DJアークはあくまでパーソナリティの軽やかなトーンで語りますが、
震災後の死者の弔いという重いテーマを扱っています。
自分の死を認識しないまま、同じく震災で亡くなったリスナーへ
語りかけるというシチュエーションで、死者の声は現実には
聞こえないけれど、あなたの想像の中で聞こえると読者へ投げかけます。
何だかモヤモヤする本でしたが、この煮え切らない感じを
埋める力こそが想像力なのかもしれません。

 
第3位『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 

 

こちらも今年話題になりましたね。発売日に買って一気に読みました。
ブログにも読みたてほやほやの内にエントリーを書いたので、
よろしければホットな感想をどうぞ。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』早速読みましたー - someiyoshinoの日記


第2位『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

 

 社交的でリーダーシップのある人、誰とでも仲良くなれる友好的な人。
外向型の人は自信にあふれ、魅力的にみえます。
一方で、知らない人が大勢いるパーティや、人前でのスピーチは苦手な
内向型の人は自信が無さげにみえてしまうことも多いです。
著者のスーザン・ケインさんも内向型タイプであり、
それを隠して外向的にふるまっていた時期もあったそうです。
この本は、そんな内向型人間にスポットライトを当て、
内向性を克服するのではなく、強みを生かすための1冊です。
豊富な文献とエピソード、そしてケインさんの落ち着いた
語り口に引き込まれていきます。
TEDでもスーザン・ケインさんのスピーチが聴けるのでぜひ。

スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」 | Video on TED.com


第1位『「ひらめき」を生む技術』

 一番最近読んだので、熱くなってるというのもありますが、
ヒントに溢れたエキサイティングな本でした。
MITメディアラボ所長の伊藤穣一さんと非常にクリエイティブな4人の
ゲストとの対談によって進行します。
「異分野同士をつなげるコミュニティ作り」が得意分野であり、
「多様な人材をコネクトさせればさせるほど、クリエイティビティや
イノベーションが生まれると信じている」とおっしゃる伊藤さんと
ゲストの方々のセッションはどれもすごく面白かったです。
自分の仕事の中でも、この「異分野のコラボレーション」は
超重要テーマなので、伊藤さんの人と人をつなげるマジックに興味津々でした。

そんなこんなで、2013年回顧シリーズ、本日は読書編でした。
みなさんも今年読んだオススメの本があればぜひ教えてください!

回顧2013〜アート編〜

 
 
 

今年も残りあと数日となりました。
そして、今日から年末のお休みに入りましたので、
がんがんブログ更新していくつもりです。(暇人乙…)
さて、2013年回顧シリーズということで、第1弾はアートをテーマに
今年行って良かった美術展を振り返ってみたいと思います。

第5位 彫刻家・高村光太郎展 @碧南市藤井達吉現代美術館
(会期)11月1日(金)~12月15日(日)


巡回展ですが、県内にやってきたので見逃せないと思い行きました。
高村光太郎といえば詩人としても知られていますが、仏師高村光雲
父にもつ彫刻家でもあります。ごつごつと無骨でありながら艶があり、
まるで生きているかのような立体的な高村の彫刻作品に魅了されました。
父から受け継いだ伝統と、西洋の彫刻技術を学んで父を超えようとする
試行錯誤の過程が伝わってくる展示でした。
また、ロダンをはじめ高村が影響を受けた作家が一緒に展示されており、
比較しながら観るのも面白かったです。

第4位 プーシキン美術館展 @愛知県美術館
(会期)2013年4月26日(金)~6月23日(日)

こちらも巡回展です。古典主義、ロココ、自然主義印象派キュビズム・・・
美術の系譜に沿ってその時代の表現の特色が分かる展示でした。
いわゆる名画もたくさんありましたが(さすが貴族のコレクション)、
フランスらしい華やかな作品が多い印象でした。

第3位 ルーヴル美術館展 地中海 四千年のものがたり @東京都美術館
(会期)7月20日(土)~9月23日(月)

平日の朝一番に行ったのですが、それでもとにかく混んでました。
予定が詰まっていたこともあって、ゆっくり観られなかったのが残念です。
(でもそんな中、行けて良かった!!!)
ルーブル美術館の膨大なコレクションから「地中海」をテーマにした展示です。
さまざまな民族の交易と戦争が起こった地中海を舞台に、
歴史・地域を超えてあらゆるジャンルの作品が並ぶスケールの大きな展覧会でした。
日本初公開となる狩りの女神アルテミス像(通称「ギャビーのディアナ」)が
ため息がでるほど美しすぎました。

うさぎを追いかけている内に奇妙な世界に巻き込まれていく『不思議の国のアリス』に
なぞらえて、来場者がワンダーランドに誘われるような体験型の展示でした。
複雑に入り組んだ世界で、膨大な情報が与えられるけれど「私」の認識が追いつかず
手に負えない。このような感覚を誰もが抱いたことがあると思います。
この企画では、デザイン・アートを通して世界に触れる方法を模索することをテーマに
感覚と知性、その両者を結ぶ想像力によって「私」が「世界」を認識する
可能性について、わくわくしながら探ることができました。

第1位 瀬戸内国際芸術祭2013「アートと島を巡る瀬戸内海の四季」
@瀬戸内海の島々(会期)春、夏、秋 合計108日間
今年の夏は行きたかった瀬戸内芸術祭に行けました!
1日かけて小豆島、犬島の2カ所を回りました。
小豆島では、真夏の日差しと瀬戸内海の潮風を受けながら電動自転車で巡りました。
所々にある島の休憩所でおじい、おばあとたくさんお話しできたのもいい思い出です。
犬島は、昔銅の精錬が行われていた島で、廃墟となったレンガ立ての精錬所が
美術館となっており、見学してきました。
また、島の日常風景にアートが溶け込んだ「家プロジェクト」も素敵でした。
全体として、ゆったりとした島の時間に身を任せながら、
ゆとりをもって鑑賞することができ、大満足でした。